昔からメカや車が大好きです。でもこの車は愛車を修理中にショップが貸し出してくれた代車ですが。

昔からメカや車が大好きです。でもこの車は愛車を修理中にショップが貸し出してくれた代車ですが。

【幼少時代】
私は17歳まで大分県の田舎町で過ごしました。父親が電気店を経営していたせいか物心ついたころから機械いじりが好きで、ビジネスの話に敏感でした。

そして小学校3年生の時に担任だった先生が変わった人で、社会の時間に日本の企業の規模や株式投資などの話しを聞かせてくれました。

私はよくその先生に、儲かりそうなちょっとしたビジネスを思いついては相談していました。先生は「それで将来が変わるかもしれないからやってみろ!」とアドバイスしてくれました。このころから将来サラリーマンになるという選択肢は私にはありませんでした。

小学校6年生の頃、とにかく機械やロボットに興味があった私は無線の勉強をしたり、簡単なプログラミングをしてみたりと、今で言う情報系の分野に強い関心を抱いていました。

このころの将来の夢はロボットを作ることでした、ロボットが自立するには人工知能が必要だから、それを解決するためにはコンピューターの知識がなくてはと思ったわけです。

そして中学生の時に第1次パソコンブームが訪れ、とにかく自分も情報系の高校に進学したいと思いましたが、相談相手の先生も情報系に疎く、そんな田舎町に情報処理科などという先端分野を扱う高校もありませんでした。

進学面談の時、商業高校の先生に、情報処理の勉強はできるのかと尋ねると、出来ると思うという返事だったので、商業系の高校へ進学しました。ところがそこにはパソコンクラブがあるだけで、情報処理の学科はありませんでした。

仕方なく、とりあえず簿記や商業経済の勉強をしていました。簿記は単なる計算で退屈でしたが、商業経済は実践的で楽しかったですね。

【脱・田舎生活】
しかしいつまで経っても先が見えないし、高校を出たらどこかに就職という図式があり、高校2年になるとそれが現実味を帯びてきました。

そんな退屈な未来はまっぴらゴメンだと、17歳のとき高校を中退。

とうとう家出同然にバック一つを抱えて、原付バイクで東京へ。ゆくゆくは時代の最先端アメリカを目指そうと思いました。

あの時田舎町を出た爽快感は今でも忘れられません。

でも無謀だったんですね、あっという間に軍資金が底をついて、たどり着いたのが大阪でした。とにかく食べないといけないので、しばらくはアルバイトを転々として食いつないでいました。

そんな生活を5年ほど続けた後、Macというコンピューターの話しを耳にして、再びパソコンへの興味がわきあがりました。

パソコンはプログラムをする道具から、デザインやCGなどを処理できる道具に変わっていたことに衝撃を受けました。

そして家電の修理販売、AVシステムプランニング、映像制作と徐々にステップアップをして先端分野を目指しました。

でもこのころはっきりわかったのは、自分には機械工学やプログラミングは向いていないということです。

【単身アメリカへ】
しばらくの間映像系の仕事に携わっていましたが、アメリカでソフトウエアビジネスやデジタル技術を駆使した映画、インターネットが普及し始めたころに、自分がやりたかったのはこういうことだ!とはっきり感じました。

思ったが吉日、テレビで特集されていた企業数社に手紙を書いて訪問を懇願し、返事がないまま単身アメリカへわたり突撃訪問。
門前払いは当たり前で、警備員につまみ出されるなんて事もあり、結局2、3社しか見ることができませんでしたが、とても貴重な経験をしました。

中でも、1994年にモザイク・コミュニケーションズとして設立され、同年にネットスケープコミュニケーションズに社名変更した超有名企業の会長ジム・クラークさんがたまたまランチに誘ってくれました。

ジム・クラークさんの歩いてきた道や性格が自分と似ていて、すごく勇気がわきました。

そして「俺だって落ちこぼれで、何もないところからはじめた。やろうと思ったらなんでもできるよ!」という言葉に強い衝撃を覚えました。

自分の劣等感や短所を、ポジティブな方向に活かすことが出来るのだと気付いたのもこの頃です。

【起業、そして、これから】
帰国後、Macで映像制作をしよう、Macがあればインターネットもできるから、そこでwebの基礎を覚えてwebビジネスに転身しようと考えて、再度映像系の会社に入社しました。

ところがあまりオペレーティングに向いておらず、結局制作の仕事よりは企画系の仕事が中心になっていきました。

自分はそういうことが得意で向いているとも思い、その分野でwebビジネスを展開することも出来ると考えました。

1998年に、はじめて自分のMacを買うことが出来、日本でのインターネットブームとともに起業を決意。準備期間を経て2000年6月に創業しました。

2007年には法人化を果たしましたが、当社は制作会社ではなく、webを活用した『クロスメディアソリューション』がメイン事業で、マーケティングや集客の仕掛けなどをコンサルティングしています。

商品販売や集客に困っているお客様の仕事だけを引き受けるというスタンスで事業を展開してきましたが、企業テーマでもある「ホビー」「ソリューション」「コンプレックス」という3つをキーワードに、今後はソーシャルメディアを活用した独自のサービスもいくつか展開していきたいと考えています。

さらに将来は、幼い頃から夢だったロボットを作るために、ロボット産業への投資、そして未来に夢をつなげるために宇宙開発関連の事業分野などにチャレンジしていきたいですね。