中学生の頃、やたらと流行に敏感でファッションセンスがあり、さらに手先が器用で面白くて、女の子にもモテるやつがいた。

幼稚園からの付き合いで、入園式の前にそいつと会った。お互い、お母さんの自転車の荷台に座ってた。そいつは当時、ブロック工作が得意なやつだった。

小学校一年の時に、そいつはプラモデル用のモーターを改造して、出力を上げるような技術を持っていた。

俺は新しいプラモデルを買うことが出来なくて、壊れたプラモや、もらい物を合体させて、飛行機みたいな戦車とか、車の形の潜水艦とかを創っていた。やつはそれを動かすことが出来た。

小学校三年の時には、文字を書くとワープロのフォントみたいな造形で、丸文字の元祖みたいな字を書くやつだった。俺は文字をハンコにしてみた。やつはそれを単語にまとめた。

小学校五年の時、そいつは絵は下手だったが、手書きでテクニカルイラストみたいな詳細な造形を描けた。俺は夏休みに作ったリモコンの船の工作に、作り方を紙に書いて一緒に提出した。やつが説明図を作ってくれた。俺より精度の高いリモコンの船も作っていた。

中学に入ると、技術の授業でインターフォンを作った。そいつは俺に「お互いの家をこれで結べばいつでも話ができる」と持ちかけてきた。
やつの家とは800メートルくらいの距離。二人で勝手に電柱に配線した。それぞれの部屋に親機と子機を置いて実験したけど繋がらなかった。
原因を調べると増幅が必要だった。やつと俺で壊れたラジオの部品で増幅器を作って、いつでもタダで会話できるようになったけど、数日でだれかが通報して、学校でこっぴどく叱られて、インターフォンを撤去した。

高校は別のところに進学したけど、通う汽車(田舎なので電車じゃない)は一緒だった。やつは標準の学ランを自分で縫製し直して、短ランにリフォームするような技を持っていた。そいつがする事はとにかく完成度が高かった。

中学の頃から、周りのみんながスニーカーを履き始めた時、そいつはコンバースのバッシュを履いていた。高校に進学した時、みんなコンバースのバッシュを履き始めた。盗難事件が起こり始めた。

田舎の学校で、俺の高校では教師がこう言った「バスケットシューズはバスケットをするためのシューズだ。通学用の靴じゃない」みんな反論できなかった。
俺はおかしいと思って言った「そんなこと言ったらスニーカーだって運動靴だ。先生がしてるネクタイも元は軍服だ、何も着れなくなるし、履けなくなる。第一校則に靴の規定はない」翌日、なぜか俺は2週間の停学処分になった。

それに比べて、やつの通う学校はおおらかだった。謹慎処分で坊主頭にさせられた生徒が、翌日お母さんのカツラをカットして装着して登校すると、先生は苦笑したらしい。夏の暑い日は桶に水を張って足をつけて授業を受けても何も言われない。先生が授業中にエロ話をする。
文化祭では多くの学校で禁止されていた、他校の生徒も出入り自由。他校間との男女交際についても「交流」という形で容認していたし、とにかく自由な校風だった。

俺の学校ではコンバースが禁止になった。パンクが流行し始めたが、まだリーゼントや長ラン、ヤンキーがいた。ヤンキー連中は校則ですれすれの先の尖った革靴を履いていた。俺は安全靴を履いて、登校した。流行に疎い教師は何も言わない。

電気科が有名だったやつの学校では、機械科もあって、実習で安全靴を履いていたが、通学中にもそれを履くやつが現れた。
三ヶ月もするとコンバースに変わって、安全靴が主流になった。俺の学校ではコンバースに続いて、安全靴が禁止になった。理由は「仕事でつま先を守るためのもので、通学用の物ではない」からだった。何もかもを規制するわけだ。やつの学校では何も問題にならなかった。

そんな高校時代、俺は元々学びたかったコンピューターもまとめに学べないし、あらゆる変化を理解しない学校が嫌になった。二年も終わりに近づくと、ほとんど自動的に就職先が斡旋されはじめる。田舎だったので、そういうシステムを親も教師も当たり前のように推奨していた。

このまま行くと、確実に道が閉ざされる。そう感じて俺は二年の終了と同時に学校をやめて、四ヶ月後に家を飛び出した。

やつは理解のある学校を卒業した。それから東京の電気設備系の会社に就職した。最初はそれで満足したらしい。ところが手先が器用な上に、あっという間に仕事も覚えると、序列と人間関係でしこりを感じ始めた。東京に出て、はじめて田舎の集団就職システムに気付いたのだった。

いいところに就職できたと思っているのは、郷里の親や「実績」を作った学校だけだった。やつは東京にはその程度の仕事がざらにあって、自分の能力ならどこでも通用するはずなのに、古い体質の会社に送り込まれてしまった事に気付いて、自暴自棄になった。

それから五年後、やつが変わり果てた姿で、俺を頼って大阪に逃げてきたことがある。
「お前は高校でシステムの矛盾に気付いた。俺は許容する周囲の理解を鵜呑みにした。」人生が狂ってしまったと嘆いていた。
その後、そいつは今で言う、ニートみたいな生活を初めたようだが、それから二十数年音信が途絶えた。今、どうしているのかわからない。

模倣でも流用でもいいと思う。本来の用途とは違っていてもいいと思う。あるムーブメントや仕組みは用意されている場合が多い、巧妙に設定されている場合もある。
問題は「これに使う」と決めて掛かるのではなく、「何にどう使うか」という視点を持ち続けて、自ら変化を作り出せるかどうかだ。

人間は本質的に変化を嫌う。嫌うとそれ以上の発展はない。依存心が増長して、意識が衰退していく。生物の中で人間にしか備わっていない「考える」という能力を放棄してしまうことに繋がる。これが一番危ない兆候だ。

それは人間にとって一番リスキーな結果を招くことになる。文化的に進化出来なくなるという、致命的なリスクを受容している事に気付いていない人間を作り出してしまうのだから。